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 情報公開とか情報開示は政府や企業組織にとって第一に重要な課題である。市民や従業員,株主などに対していかにうまく政策や経営情報を伝えるのかが問われる。

 情報伝達の問題については「伝言ゲーム」がよく知られている。伝言ゲームは,情報は人から人へ伝わっていくうちに,内容が誇張されたり,一部が脱落したりと改変されることを端的に表わしている。こういった類いの情報伝達につきものの錯覚や誤りについてはしばしば言及される。しかし,ここで取り上げるのは少し異なり,情報伝達を担う人のある心理的傾向についてである。

透明性の錯覚

 情報の透明性と言えば,政府や経営陣などの意思決定機関が,国民や従業員に対して政策や方針を根拠に基づき十分に説明することを指す。この意味での情報の透明性が重要であることは言うまでもない。現在のコロナ禍でも政府の実施する「Go Toトラベル」などの政策の根拠や有効性についての透明性のある説明が求められている。首相が何日間も記者会見をしなかったりして,政策の透明性については疑問が呈されることが多い。

 しかしここで言う「透明性」はそれとは異なる。逆に,隠しておきたいのに,自分の考えていることや精神状態,感情などが他者に伝わってしまうのではないかと思ってしまうことを「透明性の錯覚」(illusion of transparency)という。認知バイアスの一種である。まるで心が透明であって,相手に自分のことを見透かされてしまうかのように考えてしまうことからこの名前がついている。

透明性の錯覚実験

 ギロビッチらは透明性の錯覚を実験によって示した。一つの実験では,嘘をつく場合に,他者がそれを見抜けるかどうかが確かめられた。嘘をつく役割の人は,たとえば「行ったことのある外国」「会ったことのある有名人」などについて順番に口頭で答え,他の人は誰が嘘をついたのかを推測した。嘘をついた人は,自分が嘘をついたとどのくらいの人に見抜かれたのかを推定した。実験の結果,嘘をついた人は,自分の嘘を見抜いた人は参加者のうち平均48.8%いたと答えた。約半数の人に自分の嘘が見抜かれたと思ったのである。しかし実際には誰が嘘をついたのかを見抜いた人は25.6%しかおらず,この値は偶然の場合と変わりなかった。つまり,嘘を見抜くことは意外にできていないにもかかわらず,嘘をついた人は自分の嘘が多くの人に見抜かれたと思い込んだのである。

 彼らは次に,不味い飲み物を飲んだ人は誰なのかがわかるのかという実験も行なった。不味い飲み物は確かにかなり不味かったようであるが,それを飲んだ人はできるだけ平静な顔でいるように指示されている。この実験でも,不味い物を飲んだ人自身は,49.1%の人に破られたと予想したが,実際には35.6%の人しか見抜けなかったし,この値は偶然の場合と差がなかった。これに対して,おいしい物を飲んだ人を見破る場合には,予想は62%であったが,実際は68.3%の人が見破った。しかしこれらの数値は偶然による66.7%と違いはなかった。

 嘘をついた人も,不味い物を飲んだ人も,自分の心のうちや感情状態は他者に見抜かれていることが多いと過大評価するのである。ではなぜこのような錯覚が生じるのであろうか? 嘘をついた人も,不味い物を飲んだ人も,当然のことながら自分の心のうちはわかっている。すると,その状態が基準となって,他の人も嘘をついたり不味い物を飲んだ人の心のうちをわかっているのではないかと思ってしまうのである。言い換えれば,自分の心の状態がアンカーとなり,アンカリング効果が働いていると考えられる。

アンカリング効果

 アンカリング効果とは,このブログでも以前に取り上げたことがあったが,よく知らない,よくわからない数値などを推測するときに,何かの基準(アンカー)が与えられると,推測がその値に引きずられてしまうことを言う。基準値からの調整を行なうのであるが,それが十分に行なわれるとは限らず影響されてしまうのである。たとえその数値が明らかに無関係であったとしてもである。

 たとえば,私は,授業で学生に次のような質問をした。「作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハは生涯に何曲作曲したでしょうか?ただし,まず自分の携帯電話の番号の下4ケタを書いてから回答してください」。

 正解は1087曲であるが,学生たちの回答は,自分の携帯番号の下4ケタの大小によって大きく異なる。まず,携帯番号が小さい方(0001~5000)の95名は,平均889曲と推測し,大きい方(5001~9999)の91名は平均3159曲と回答した。携帯番号の下4ケタという,この問題にとって全く無関係な数値であっても,それがアンカーとなって推測が引きずられ,調整が不十分なまま回答がなされるのである。

 透明性の錯覚では,よくわかっている自分の心のうちが基準(アンカー)となり,他者も同じ程度とはいかなくてもきっとわかっているだろうと考えてしまうのである。その結果,他者も自分と同じ感覚を持っていると思い,見抜かれているように思えるのだ。

透明性の錯覚の文化差

 以心伝心という言葉があるように,日本人は外国人より他者の心を読むのが上手ではないかという疑問が湧くかもしれない。透明性の錯覚と言っても文化差があるのではないのかという疑問だ。これに対しては,鎌田(2007)が答えを出している。彼女の研究では,ギロビッチらと同様の実験を行なった結果,ほぼ同様に透明性の錯覚が出現することが示されており,「透明性の錯覚は文化を超えた共通のメカニズムに基づくのではないか」と述べている(p.87)。

 人は言われているほど,あるいは自分で思っているほど,他人の心のうちを見抜くことはできないのである。ということは逆に,言わなくても伝わるだろうとか,自分の心のうちを見抜いてほしいというような他者への希望はなるべく捨てた方がよいということである。きちんと口に出して,あるいは図や文章にして説明しないと相手に伝わらないということである。

参考文献

Gilovich, Thomas, Victoria Husted Medvec and Kenneth Savitsky, 1998, The Illusion of Transparency: Biased Assessments of Others' Ability to Read One's Emotional States, Journal of Personality and Social Psychology, Vol.75, No.2, pp.332-346.

鎌田晶子,2007,「透明性の錯覚:日本人における錯覚の生起と係留の効果」『実験社会心理学研究』46巻1号78-89頁.